土佐まほろばのみち
土佐まほろばのみち
香美市土佐山田町から南国市岡豊にある「岡豊城跡」までの10.5kmのコースで、香長平野を横断する形で「土佐まほろばのみち」が展開されています。田園風景を楽しみながらの平坦なコースを歩きますが、紀貫之邸跡、国分寺(四国八十八ヶ所29番札所)、長宗我部氏歴代の居城であった岡豊城跡など数多くの史跡・旧跡に巡り会うことができます。特に岡豊城跡がある岡豊山には、「岡豊山歴史公園」として整備・管理されており、長宗我部氏に関する資料や土佐の歴史・文化等の資料を展示している「高知県立歴史民族資料館」があります。
土佐まほろばのみち(10.5km)
撮影ポイント
認定証を希望する方は、各コースの定められた撮影ポイントで申請者自身を入れた写真を撮影してください。
近隣の観光SPOT
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谷重遠の墓
谷重遠は号を秦山(じんざん)と言い、寛文3年(1663)岡豊八幡の神職の三男として生まれ、朱子学、神道、国史、天文学、暦学等を学び前途洋々であったが、45歳のときに無罪の罪で当地にちっ居させられた。亨保3年(1718)56歳で亡くなったが「墓を大きくするのは、やがて家を滅ぼす」という谷家の戒めをまもり墓石さえも作らなかった。
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野中神社(お婉堂・おえんどう)
兼山の没後、四女の婉は父兼山を祀るため1708年兼山の旧臣であった古槇氏とともに祖先の祀室を建立した。この野中神社はお祀堂と呼ばれ、当時の面影をそのままに、ひっそりとした佇まいを見せている。
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永源寺
土佐藩家老山内備後守彦作の開祖と伝えられ、ご本尊は聖観音、土佐国33観音大11霊場である。かつては、曹洞宗大本山永平寺の直末で「観音寺」といって鬼門除けの寺であったが、土佐が山内一豊の支配となってからは「古峯山乾流寺」となった。宝永5年の火災で類焼したが、翌年、永源寺として再建された。また、裏手には、土佐藩初期の家老乾一族の墓所である「卵塔」と呼ばれる墓石が10基並んでいる。
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比江廃寺等跡
南国市比江字土居屋敷にあり、国の史跡に指定され、県内では最古の寺院跡である。また、塔の心礎の大きさなどから約32mの塔が建っていたと推定されている。
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紀貫之邸跡
貫之は、延長8年(930)から約4年間土佐国司をつとめ、土佐から京都への帰途の船旅を著した「土佐日記」は、我が国最初の日記文学として有名。
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土佐国衙跡
奈良時代、今の県庁というべき土佐の国衙政庁が置かれたところとされ、高知県の指定史跡になっているが、現在は一面に田畑が広がり遺構らしいものは全く見当たらない。
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国分寺
四国八十八ヶ所霊場の29番目札所になっている。天平11年(739)聖武天皇の勅願により全国の国ごとに建てられた国分寺の一つで、土佐国分寺が当寺の開基とされ、行基の開山と伝えられている。
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岡豊城跡
築城の年代ははっきりしないが、中世、土佐の中部で威を張った長宗我部氏歴代の居城とされていた。城跡がある岡豊山には「高知県歴史民族資料館」があり、長宗我部氏関連資料や土佐の歴史・文化・くらしを紹介している。