深山幽谷の遍路みち
深山幽谷の遍路みち
阿南市大井の集落から那賀川の水井橋を渡ると、しっとりとした山道が続く。道沿いに川が流れ、木々の間から滝つぼがのぞく。しばらくすると朱色の顔料となった辰砂が採掘されていた「若杉辰砂採掘遺跡」が現れる。「遍路ころがし」の難所を進むと二十一番札所「太龍寺」にたどり着く。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、荘厳な空気を漂わせている。広い敷地には、江戸時代に再興された仁王門、六角経蔵、大師堂などの諸堂が立ち並ぶ。寺を後にすると、しばらく車道が続き、山深い阿瀬比の町に着く。一部、交通量の多い区画があるため注意。
深山幽谷の遍路みち(10.5Km)
撮影ポイント
認定証を希望する方は、各コースの定められた撮影ポイントで申請者自身を入れた写真を撮影してください。
近隣の観光SPOT
-
水井橋
「すいいばし」と読む。お遍路さんが二十番札所「鶴林寺」から二十一番札所「太龍寺」へ向かう遍路道の途中に位置する。幅員は3mと狭く、軽トラックや人しか通行できない簡易橋。天気の良い日は山の緑を映した新緑の那賀川の美しさに思わず足を止める。
-
若杉山辰砂採掘遺跡
戦後、みかん畑への開墾の際に多量の石臼、石杵、土器などが出土し水銀朱採掘遺跡として知られるようになった。岩盤を打ち割り辰砂を採掘した採掘場と,採掘に伴い廃棄されたズリ場からなる。弥生時代の終わりから古墳時代の初めまでをピークに朱生産が行われていたと考えられている。水銀朱は古墳時代前期などに古墳の埋葬主体に大量に使用されていた。若杉山遺跡で産出した水銀朱も各地の古墳築造時に運び出されていったものと想定され、古墳時代の広範囲な流通を知る上でも非常に重要な遺跡である。
-
太龍寺
四国八十八カ所霊場二十一番札所。延歴11年(792)弘法大師の創建と伝えられている。古くから、1に焼山(焼山寺)、2にお鶴(鶴林寺)、3に太龍(太龍寺)と遍路を嘆かせた難所である。周囲には樹齢数百年といわれる老杉が生い茂り、江戸時代に再興された仁王門、六角経蔵、本堂、大師堂、多宝堂、などの諸堂が立ち並んでいる。また、太龍寺は大師が虚空蔵求聞特法を修行した所として、大師の「三教指帰(さんごうしいき)」にも残されている。かつて歩き遍路が多く利用した「阿波遍路道かも道」には室町時代の丁石が現存しており、県の史跡に指定されている。
-
お松大権現
「お松さん」と呼ばれて親しまれる「お松大権現」は有馬、鍋島の猫騒動とともに、日本三大怪猫伝として名高い。江戸時代、近くに住んでいたお松という人が、金の貸し借りの問題で奉行の非理非道な裁きに死を決して直訴し処刑された。ところが、彼女の愛猫が妖怪変化となって、奉行の家などを代々たたり続けてあだ討ちをしたとの伝説が残されている。後に村人がお松を哀れんで建てたもので、勝負や願い事の神様として知られ、特に受験シーズンは合格祈願の参拝客でにぎわう。