佐賀のみち
佐賀のみち
県西南部の山間部を抜けているルートですが、伊予木川沿いを南下するため山間部の割には平坦な道が続いています。また、国道56号線とほぼ並行に走っているため交通量は多くなく、山の緑や川のせせらぎを感じながらゆったりと歩くことができます。また、道中では集落と田畑が広がりを見せるなど人工的な造形も楽しむことができます。平坦な道を歩き進めると「佐賀のみち」で唯一山越えをしなければならない熊井エリアになります。遍路道も兼ねた道は急勾配の坂道が続き、中腹にある「熊井トンネル」を抜けると土佐佐賀の駅に到着です。太平洋を眺めながら歩を進めると次の「土佐入野松原へのみち」に繋がっています。
佐賀のみち(15.3km)
撮影ポイント
認定証を希望する方は、各コースの定められた撮影ポイントで申請者自身を入れた写真を撮影してください。
近隣の観光SPOT
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擂鉢轟の滝(すりばちとどろのたき)
「佐賀のみち」から若干ルートが外れているが、出発点である市野瀬から東方へ直線距離で約3kmの所にある滝は、高さが54mあり、果てしなく落下する水の音はすさまじく、山々に響き渡り、雄大な自然を堪能できる。(滝までの経路は、途中から遊歩道が無く、足元の悪い岩場や急な斜面、川を渡ることになるので、靴底が厚く、水に入ることの出来る「登山靴等」は必須。)
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流人万六の墓
国道56号線沿い小黒ノ川の山中にあり、土佐町から流刑されここに住んでいたと言われる。どくれ(高知の方言で「偏屈」という意味)と頓智でみんなに親しまれたといわれている。嘉永三年(1850年)永眠。
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熊野神社
約800年前、源平戦乱の後、弁慶の父田辺湛増(たんぞう)は、紀州田辺から舟で熊野浦に上陸。文治2年(1186年)に熊井に移り住み、法泉寺山に熊野三所権現を鎮座する。上山郷の郷社として毎年夏と秋(8月1日、11月12日)に大祭が開催されている伝統行事では、高さ4mの牛鬼が無病息災を祈って町内を練り歩く。
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伊与喜天満宮休憩所
伊与喜天満宮境内にあり伊与木川を一望するには、絶好の場所である。一休みして次の目的地へ向かおう。
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熊井トンネル
明治38年(1905年)12月に工事が完成、「トンネルというものは、入り口は大きいが出口は小さいものじゃのう」と言った人があるという。全長90mもあるトンネルに使われているレンガは、佐賀港から1個1銭の運び賃で小学生などが一人1~2個ずつ運んだとされている。昭和14年(1939年)までは、県道として利用されていた。近代土木遺産に指定されている。
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天満宮と曽我神社
宝治2年(1248年)頃に合祀され、以来人々に祭られている。この神社には「東風吹かばにおいおこせよ梅の花、あるじなしとて春を忘れそ」と詠んだ藤原道真公と日本三大敵討ちの一つとして有名な曽我兄弟が祭られている。秋祭りには、勇壮な神興もどしや鼓踊り、花取り踊りが披露され、豊漁豊作の感謝を神に捧げている。
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鹿島ヶ浦(かしまがうら)
佐賀港一帯を鹿島ヶ浦と呼び、景勝地として名をはせている。港の入口には、相対する形で鹿島と厳島が存在し、鹿島の原始林は黒潮町の天然記念物に、また高知県の「自然環境保全地域」に指定されている。「土佐西南大規模公園(佐賀地区)」の展望台からは景色が一望できる。