土佐入野松原へのみち
土佐入野松原へのみち
国道56号線から旧道に入って「灘公園」を起点に「土佐入野松原へのみち」が始まります。全般的に海岸沿いのルートとなっており、起伏はほとんどなく歩きやすいコースです。井の岬から見える雄大な太平洋の景色に感動しながら歩みを続け、伊田浦の漁港を抜けると浮津休憩所に到着、その後は約4kmにもわたる美しい白い砂浜が広がる入野海岸が現れます。この入野海岸は、昭和3年に「国の名勝指定」を受け、さらに平成8年には「日本渚・百選」にも選ばれています。さらに歩を進めると、延長500m、幅500mにわたり黒松が群生している入野松原に入って行きます。この入野松原も入野海岸と同時に「国の名勝指定」を受けている名所です。
土佐入野松原へのみち(14.4km)
撮影ポイント
認定証を希望する方は、各コースの定められた撮影ポイントで申請者自身を入れた写真を撮影してください。
近隣の観光SPOT
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井の岬海岸
浮津海水浴場、入野松原へと連なる海岸線の東端に突き出た岬で、水深があり磯釣りの場として名高く、ハイシーズンになると釣り師で賑わう。
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有井庄司の墓
有井庄司は有井川の荘官。土佐へ流された尊良親王を守り、有井川の奥地米原の殿舎を建築したり、身辺の世話をした忠臣の一人。有井庄司の死を知った親王が五輪石を送り、八幡神社の境内に造らせたものである。
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王無しの浜
鎌倉時代末期、尊良親王は後醍醐天皇の第1皇子として生まれ、嘉歴元年(1326年)に元服したが、時の執権北条高時は、自分に都合の良い後二条天皇の皇子を立てて皇太子とした。その後元弘2年(1332年)後醍醐天皇は幕府により隠岐に流され、尊良親王は土佐へと流された。配流の身となった尊良親王が上陸した場所であるが、親王を出迎えに有井庄司が駆けつけたときには、既に立ち去った後で親王の姿が無かったことから「王無しの浜」と呼ばれるようになった。
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浮津海水浴場
遠浅の海から押し寄せる波の白さと、西へ美しい海岸線が200メートル続く砂浜、入野松原を望む景観が素晴らしい海水浴場である。毎年7月初旬から8月末までの期間に海水浴場としてオープンしている。また、キャンプサイトもあり、ゆったりと海水浴を楽しむことができる。
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入野松原
天正の頃、当時中村城代であった谷忠兵衛忠澄が囚人を使って、黒松を植えたと言われている。松林は、延長5km、幅500mにわたって大小の黒松が群生しており、海岸と一帯をなした白砂青松の景観は雄大であり、多くの人が訪れている。背後の砂丘とともに 「土佐西南大規模公園」の中に属しています。松林内には、延喜式幡多三社の一つである加茂神社や松原ゆかりの人々の記念碑、頌徳碑が建てられている。
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大方あかつき館
入野松原内にある文学館、図書館、ホール、ギャラリー等を含んだ町立の複合文化施設。鉄筋コンクリート造3F建ての外観は、黒潮町出身の私小説家である上林暁(かんばやしあかつき)氏の代表作である「白い屋形船」をモチーフとした白一色の斬新なデザインで、入野松原の緑との調和が美しい黒潮町のシンボル的な建築物である。毎年さまざまな企画展を実施しており、新しい町の文化が生まれる発信基地になっている。