支5 四国カルストルート
支5 四国カルストルート
四国カルストルートは、四国のみちの中でも特異な位置にあるコースです。四国のみちは、ぐるりと四国1周するように指定されていますが、高知県と愛媛県をつなぐもう1つのルートで、高知県と愛媛県の県境の山間に位置する四国カルストをとおるルートです。四国カルストは、日本でも有数のカルスト台地で、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台とともに、日本3大カルストとも言われています。本県の四国カルストルートは6つのコースで構成され、この支5 四国カルストルートは、西予市野村町小松が起点となり、高知県(梼原町)と愛媛県(久万高原町)の県境に位置する愛媛県道・高知県道383号四国カルスト公園縦断線をとおり、終点の地芳峠に向かいます。ほぼ全線が舗装されていますので車での利用も可能ですが、1車線で整備された道路ですので離合に困難な箇所もあるのでご注意を。標高が高く、冬季は路面凍結のため通行止めになっていますので、利用にあたっては事前にインターネット等で道路情報の確認を行ってください。
支5 四国カルストルート(7.9km)
撮影ポイント
認定証を希望する方は、各コースの定められた撮影ポイントで申請者自身を入れた写真を撮影してください。
近隣の観光SPOT
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大野ヶ原休憩地
案内標識と休憩施設が設置されています。支4四国カルストルートの終点に位置し、近隣にはトイレや生乳を使用したアイスクリーム販売所もあります。ドライバーの休憩地としても利用されています。
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大野ヶ原(おおのがはら)
大野ヶ原は、愛媛県と高知県の県境に広がる四国カルスト県立自然公園の西に位置する高原です。総面積約740ha、標高1,000mを超える石灰岩台でドリーネとよばれるカルスト地形特有の窪地や、草原に突出した石灰岩の奇岩がよく見られることでも有名です。1946年(昭和21年)に開拓増産隊15人、1950年に第一次入植農家30世帯が移り住んで開拓がはじまりました。緑の牧草地の中に牛舎が点在する風景が広がります。砲兵演習場や軍馬の放牧場としても利用されていたこともあったとのこと。民家や牛舎、サイロなどが立ち、喫茶店もあります。ソフトクリームやチーズケーキなどの乳製品がおいしいと評判です。
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大野ヶ原のカルスト地形
雨水や地下水によって溶食された石灰地特有の地形をカルスト地形といいます。台地に降った雨は川とならず石灰岩の割れ目にそって地下にしみこみます。これを繰り返すうちに入口の周囲をすり鉢状に溶かします。この窪地をドリーネと言います。このドリーネが2つ以上結合したものをウバーレと呼び、さらに大規模になった盆地をポリエといいます。また溶食にたえて残った墓石のような岩をカレンといい、それがたくさん並ぶ原野をカレンフェルトと呼びます。大野ヶ原の地層は、今から2億数千万年に出来た堆積岩類で、石灰岩の中から紡錘虫、サンゴや巻貝などの化石が発見されています。大昔はこの高原は海の底だったことがわかります。
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源氏ヶ駄場(げんじがだば)
四国カルストの中でも大野ヶ原地区で最も標高が高い場所が源氏ヶ駄場です。地名は、源平の戦いに敗れた平家の残党が、白い石灰岩を源氏の白馬と見誤って退去したという伝説が由来となっています。石灰岩の大地が雨水で溶け羊の群れのように見える地形をカレンフェルトと呼びます。眺望が良いと人気の場所です。
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ポニー牧場
名前の由来となっているポニーの他に、ヤギや羊、ウサギなどに出会うことが出来ます。
入場料や営業時間等については、ホームページを確認願います。
https://四国カルストもみの木.com -
地芳峠(じよしとうげ)
地芳峠は標高1,085mで、四国カルストの中心部です。四国カルストは、東は高知県津野(つの)町の天狗高原から西は西予市野村町大野ヶ原に至る延長約25kmに及ぶカルスト地形です。標高は1,000mから1,450mの稜線がなだらかに広がっています。春から秋にかけて観光客が多く訪れる箇所で、地元の方の証言記録では、昭和30年(1955年)ころまで地芳峠から東の姫鶴平(めづるだいら)や五段高原(ごだんこうげん)の方は、地元の人も行かないような秘境で、現在の姫鶴荘方面へ向かう尾根沿いの道があるだけでした。昭和39年(1964年)に梼原まで林道が完成し、その後に地芳峠から上(四国カルストの姫鶴平、五段高原方面)への牧道のような道が出来たそうです。夏には放牧された牛を見ることが出来ることもあります。